警視庁が選んだ大事件 ランキング

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警視庁が選んだ大事件 ランキング

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警視庁が選んだ大事件 ランキング

創立140周年を迎えた警視庁は職員へのアンケートで、10大事件を選んだ。
警視庁が選んだ大事件、1位は「オウム真理教」 明治以降100の事件・事故から






◆1位は地下鉄サリン事件などのオウム真理教事件(平成7年)

1980年代末期から1990年代中期にかけてオウム真理教が起こした事件の総称である。

オウム真理教の教祖である麻原彰晃(本名:松本智津夫)が救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で、外国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行した。

一連の事件で29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)負傷者は6000人を超えた。

特に注目される事件として、教団と対立する弁護士とその家族を殺害した1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件、教団松本支部立ち退きを求める訴訟を担当する判事の殺害を目的としてサリンを散布し計7人の死者と数百人の負傷者を出した1994年6月27日の松本サリン事件、教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱を目的に5両の地下鉄車両にサリンを散布して計12人の死者と数千人の負傷者を出した1995年3月20日の地下鉄サリン事件が挙げられる。
毎日新聞ではこれら3つの事件に対してオウム「3大事件」(-さんだいじけん)と表現している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/オウム真理教事件

◆2位は東日本大震災(23年)

2011年(平成23年)3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、及びその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。

地震発生
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートル、仙台市の東方沖70キロメートルの太平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。
地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。
震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500キロメートル、東西約200キロメートルのおよそ10万平方キロメートルという広範囲すべてが震源域とされる。
最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測した。

被害
この地震により、場所によっては波高10メートル以上、最大遡上高40.1メートルにも上る巨大な津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した。
また、巨大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによって、北海道南岸から東北を経て東京湾を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種インフラ(人々の生活に必須な所謂ライフライン)が寸断された。

2014年(平成26年)3月10日時点で、震災による死者・行方不明者は18,517人、建築物の全壊・半壊は合わせて40万0,151戸が公式に確認されている。
震災発生直後のピーク時においては避難者は40万人以上、停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上等の数値が報告されている。
復興庁によると、2014年2月13日時点の避難者等の数は26万7,419人となっており、避難が長期化していることが特徴的である。

日本政府は震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円と試算している。
この額は、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県の県内総生産の合計に匹敵する(阪神・淡路大震災では兵庫県1県の県内総生産の半分ほどであった)。
世界銀行の推計では、自然災害による経済損失額としては史上1位としている。

福島第一原発
地震から約1時間後に遡上高14-15メートルの津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は、全電源を喪失して原子炉を冷却できなくなり、1号機・2号機・3号機で炉心溶融(メルトダウン)が発生した。
水素爆発により原子炉建屋が吹き飛び、大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展した(→福島第一原子力発電所事故)。
この事故は国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7、チェルノブイリ原子力発電所事故と同等に位置づけられている。
同原発の立地する福島県浜通り地方を中心に、周辺一帯の福島県住民の避難は長期化するとともに、2012年からは「帰還困難区域」「居住制限区域」も設定された(→福島第一原子力発電所事故の影響)。
その他に火力発電所等でも損害が出たため、東京電力の管轄する関東地方は深刻な電力不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに計画停電が実施された。
計画停電は東北電力管内でも震災直後に実施されたほか、翌2012年の夏前には関西電力管内でも大飯発電所(大飯原発)の再稼働を巡って論議が起き、計画停電の可能性が議論された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/東日本大震災

◆3位はあさま山荘事件(昭和47年)だった。

1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」[注釈 2]において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。

山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行うが難航し、死者3名(うち機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(うち機動隊員26名、報道関係者1名)を出した。
10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕された。
人質は219時間監禁されており、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/あさま山荘事件

◆4位以下は、3億円事件(昭和43年)

現金輸送車に積まれた東京芝浦電気工場従業員のボーナス約3億円(2億9430万7500円)が、白バイまで用意した偽の白バイ隊員に奪われた事件である。
被害金額3億円は現金強奪事件としては当時の最高金額であった[注釈 1]。
その後の現金強奪事件では金額こそ三億円事件よりも強奪金額が多い事件があるが[注釈 2]、1968年当時の3億円は現在の貨幣価値に直すと約10億円にあたり、貨幣価値においては現金強奪事件としては最高クラスである。

警視庁捜査において容疑者リストに載った人数は実に11万人、捜査した警察官延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上が投じられる空前の大捜査となったが、1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。
1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。
日本犯罪史に名前を残す未解決事件となった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/三億円事件

◆大喪の礼、即位の礼・大嘗祭(平成2年)

1989年(昭和64年)1月7日に崩御した昭和天皇の大喪の礼は、同年(平成元年)2月24日に、内閣の主催(大喪の礼委員会委員長・竹下登内閣総理大臣)により行われた。

「大喪の礼」は、当日午前9時35分に、昭和天皇の霊柩を乗せた轜車(じしゃ。
霊柩車)を中心として組まれた葬列(車30台、サイドカー30台の車列、全長約800m)が、宮内庁楽部による雅楽「宗明楽」と陸上自衛隊による21発の弔砲に送られて、雨の降る皇居正門を出発することに始まった。
出発前には、皇室の儀式「大喪儀」である「斂葬の儀」の一部である「轜車発引の儀」(じしゃはついんのぎ)が執り行われ、出発をもって国の儀式である「大喪の礼」が始まった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/大喪の礼

今上天皇の即位の礼・大嘗祭を巡る儀式は、1990年(平成2年)1月23日の期日奉告の儀から始まり、1年間に渉り関連行事が行われた。
即位の礼にあたり、式典の警備・要人警護には昭和天皇の大喪の礼での3万2000人を大きく上回る3万7000人の皇宮護衛官、警察官が動員され徹底した検問などが行われた。

即位礼正殿の儀おことば

さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします。
このときに当り、改めて、御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。

http://ja.wikipedia.org/wiki/即位の礼

東郷神社爆破事件

1989年(平成元年)2月3日に東京都渋谷区で発生した爆弾テロ事件。
日本の新左翼の革労協解放派が起こした事件である。

事件から20日後の2月24日に昭和天皇の大喪の礼が挙行されることになっていた。

1989年2月3日、東京都渋谷区にある東郷神社の本殿裏で突如爆発音とともに火の手が上がった。
直ちに消火活動が行われたため、茶室の一部が焼けるに止まったが、窓ガラスが割れ、本殿の扉を吹き飛ばした。
幸いにも死傷者はなかった。

その後の現場検証で、東郷神社と日本社会事業大学(当時)の境界線の有刺鉄線が切断されていたことから、犯行グループは日本社会事業大学の校内から侵入したものと思われた。
そして、消火器爆弾と時限式発火装置の残骸が発見されたため、警視庁公安部は、新左翼による爆弾テロ事件と断定した。

革労協解放派は、大喪の礼当日にも中央自動車道切り通し爆破事件を起こした。

1989年2月24日午後1時54分、中央自動車道の下り線の切り通し(東京都調布市深大寺南町1丁目)が突然爆発し、土砂約4トンが下り線を塞いだ。
ちょうど30分後に昭和天皇の棺を乗せた葬列が中央自動車道経由で武蔵野陵に向かう予定であった。

警備中の機動隊は直ちに土砂の除去作業を行い、葬列を無事に通過させることができた。

その後の現場検証で、消火器の破片やリード線が見つかったため、警視庁公安部は、消火器爆弾を土手に埋めて爆発させた新左翼による爆弾テロ事件と断定した。

2月28日、革労協解放派は、拠点校の駒澤大学で犯行声明文をばら撒き、自党派によるテロ事件であることを認めた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/東郷神社爆破事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/中央自動車道切り通し爆破事件

八王子市陵南会館爆破事件

1990年(平成2年)10月9日に東京都八王子市で発生した爆弾テロ事件。
日本の新左翼の革労協解放派が起こした事件である。

平成に改元後の1990年(平成2年)11月12日、今上天皇の即位の礼が挙行されることになった。
新左翼各派は即位に反対すべく日本各地でテロ事件を続発させていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/八王子市陵南会館爆破事件

皇居外苑汚物散布事件

1990年(平成2年)11月21日に東京都千代田区で発生したテロ事件。

日本の新左翼の戦旗日向派(現在のアクティオ・ネットワーク)が起こした事件である。

1990年(平成2年)11月23日に今上天皇の大嘗祭が挙行されることになり、新左翼各派は即位の礼と大嘗祭に反対すべく日本各地でテロ事件を続発させていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/皇居外苑汚物散布事件

◆オウム事件特別手配容疑者3人の逮捕(24年)

1996年12月4日以降から約16年の長期にわたって平田信・高橋克也・菊地直子が逃亡中であったため、オウム真理教関係特別手配被疑者といえばこの3人が世間では一般的に知られていた。
2012年1月1日に平田信が逮捕された。
2012年6月3日には菊地直子が、15日には最後のオウム逃亡犯であった高橋克也が逮捕された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/オウム真理教事件

◆世田谷一家殺害事件(12年)

2000年に東京都世田谷区の一家4人が惨殺された事件の一般的な呼称。
警視庁による正式名称は上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件。
容疑者は逮捕されておらず、2014年現在も未解決となっている。

21世紀を目前に控えた2000年12月30日午後11時ごろから翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、父親(当時44歳)・母親(当時41歳)・長女(当時8歳)・長男(当時6歳)の4人が惨殺された。
隣に住む母親の実母が31日の午前10時55分ごろ発見、事件が発覚した。

この事件は、20世紀最後の日に発覚した、大晦日に差し掛かろうとする年の瀬の犯行だったことや、犯人の指紋や血痕など個人を特定可能なもの、靴の跡(足跡)の他、数多くの遺留品を残している点、子どももめった刺しにする残忍な犯行、殺害後に翌朝まで10時間以上に渡って現場に留まり、パソコンを触ったりアイスクリームを食べたりするなどの犯人の異常な行動、これらの多くの事柄が明らかになっていながら、犯人の特定に至っていない
http://ja.wikipedia.org/wiki/世田谷一家殺害事件

◆秋葉原無差別殺傷事件(20年)

東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔事件である。
7人が死亡、10人が負傷した。

2008年(平成20年)6月8日(日)12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、当時25歳の元自動車工場派遣社員男性加藤智大(かとう ともひろ、1982年9月 - )の運転するいすゞ・エルフが西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。
このトラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。
周囲にいた人々は最初は交通事故だと思っていたが、トラックを運転していた加藤は車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら14人を、所持していた両刃のダガーで立て続けに殺傷した[注 1]。

さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。
事件発生後まもなくして近くの万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃の銃口を加藤に対して向け、ダガーを捨てるよう警告し、応じなければ拳銃を発砲することを通告した。
それに応じナイフを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店(現・クラブセガ秋葉原新館)脇の路地で現行犯逮捕にて身柄を拘束した。
これらはおよそ5 - 10分間ほどの間の出来事だった。

事件当日は日曜日で中央通りは歩行者天国となっている区域だった。
この日も多くの買い物客や観光客でごった返しているなかの凶行であり、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、また、負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、まさに白昼の惨劇であった。
加藤はナイフは他にも5本所持していたことが明らかになった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/秋葉原通り魔事件

◆西南の役

西南戦争(せいなんせんそう)、または西南の役(せいなんのえき)は、1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。
明治初期の一連の士族反乱のうち最大規模で日本最後の内戦となった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/西南戦争

◆八王子スーパー強盗殺人事件(7年)

東京都八王子市で、閉店後にスーパーマーケットの女性スタッフ3人が殺害された事件。
そのうち2人はアルバイトの女子高生である(当時17歳と16歳)。

容疑者は逮捕されておらず、2014年現在も未解決となっている。

1995年7月30日午後9時15分から20分頃、八王子市大和田町のスーパー「ナンペイ大和田店」の2階事務所に拳銃強盗が押し入り、3人を殺害した。
被害者は、パートの女性A(当時47歳)、アルバイトの女子高生B(当時17歳)と女子高生C(当時16歳)の3人(年齢は、いずれも事件当時)で、犯行時間は数分間(被害者Aの知人が、迎えに来るまでの間)。
犯人は何も奪わずに逃走している。
金庫を開けようとした形跡はなく、その他の貴金属類にも手をつけておらず、金銭目当てではない可能性もある。
女子高生2人は粘着テープで口を塞がれ、互いの右手と左手を縛られ、至近距離から後頭部に1発ずつ発砲され、即死の状態だった。
パートの女性は、体は縛られておらず、銃把で殴りつけられ、金庫の前に突き飛ばされ、女子高生殺害後、左右の額に銃口を押し付けられて殺害された。
使用された拳銃は、フィリピン製のスカイヤーズビンガム。

強盗説と怨恨説の両面があるが、捜査本部は強盗説を重視して捜査している。
殺人罪・強盗殺人罪など最高法定刑が死刑の罪について、公訴時効をやめた上で遡及適用する改正刑法及び刑事訴訟法が2010年4月27日に施行され、長期捜査が続けられている。
捜査特別報奨金対象事件の中では、捜査機関が犯人を特定していない事件としては、最も発生時期が古い事件である。
暴力団やテロリストの専売特許だった銃器が、「東京郊外の小さなスーパーで働く普通の市民」に向けられ、容赦なく殺害した事件の性格から、日本警察は「日本における銃犯罪のターニングポイント」と位置づけている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/八王子スーパー強盗殺人事件

ソース

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